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大阪高等裁判所 昭和38年(ナ)10号 判決 1964年5月22日

原告 水田亀寿

被告 京都府選挙管理委員会

主文

被告が昭和三八年一〇月二三日付で為した昭和三八年二月八日執行の久美浜町議会議員一般選挙の当選の効力に関する原告の審査申立を棄却する旨の裁決は、これを取消す。

前項の選挙における田中吉左衛門の当選を無効とする。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は主文同旨の判決を求め、その請求原因として次の通り述べた。

一、原告は昭和三八年二月八日執行された京都府熊野郡久美浜町議会議員一般選挙において立候補し、一九三票を得たが次点者として落選した者である。

二、右選挙において立候補した田中吉左衛門は、投票二〇一票を得たものとして当選が決定された。

三、ところが右田中吉左衛門の得票とされた二〇一票のうちには、「田中正夫」と記載された一四の票を包含するものであるが、右の一四票は、右選挙において立候補し二七二票を得て当選者となつた訴外田中正雄に対する投票であつて、これを田中吉左衛門の得票に加算したことは下記の事由によつて違法である。

四、田中吉左衛門は旧名を田中正夫と称したが、昭和二九年七月六日、襲名により田中吉左衛門と改めたものであるが、右改名より本件選挙までには八年以上経過し、しかもその間昭和三〇年には旧久美浜町は隣接五ケ村と合併して大久美浜町となり、右合併後の大選挙区制選挙は本件選挙が最初であつて、同人は本件選挙の立候補者中には同人と前記田中正雄外一名の田中姓計三名があつたところより、選挙運動においても同年二月一日の選挙告示より投票日の前々日たる同月六日までは「田中吉」との略称と強調宣伝し来つたものである。ところが同月六日に至り、町選挙委員会に突如として旧名「田中正夫」による異動届を提出したので、類似名候補者田中正雄より強硬な抗議を受け翌七日右届出を撤回した。右のように、本件選挙においては、旧名不使用後長期間を経ており、しかも類似名立候補者が他に二名、特に田中正雄という酷似名者が存するところから、田中吉左衛門は現名称を明らかにして特に他との区別を強調していたので、「田中正夫」名は決して、田中吉左衛門の旧名で、同人を指すものとすることはできない。右「田中正夫」の名称は、右の宣伝が行届かず、田中吉左衛門の出身地区以外の投票者の為した投票で、郡内に「材木屋さん」として広く顔の売れていた田中正雄を指すものである。

五、右田中正雄は久美浜町全域において「田中正男」又は「田中正夫」と呼称され、本件選挙以前の出身地区の各種選挙においても、「正男」「正夫」という投票を多数獲得していた。また昭和三九年度の部落選挙においては、田中正雄はその正確な氏名を徹底的に宣伝、運動し、部落内投票者に周知されていたにも拘らず、なお誤記投票たる「田中正夫」票が得票数二三票中四票あつた。しかも本件選挙における他の投票中にも、仮名名「タナカマサヲ」「たなかまさを」票が約二三票、「田中正男」と誤記したもの約六票があり、これらはすべて田中正雄の得票とされて、何人も疑問視しなかつたものである。従つて「田中正夫」票一四票も当然に田中正雄の得票と決すべきが正当である。

六、右「田中正夫」票を田中吉左衛門の得票と決した事情は、右の決定につき不利益を受ける田中正雄及び原告の候補者のための開票立会人がなく、しかも右「田中正夫」票の帰属決定を他の開票終了後に延期し、田中正雄の得票が二七二票となつて当選が絶対確実と決した後に、田中吉左衛門と懇意の町選管委員長(選挙長)石田精一が、開票立会人の意見を無視して擅に決定したものである。

七、右の「田中正夫」票一四票が田中吉左衛門の得票より除かれると、同人の得票は一八七票となり、原告の得票一九三票より六票少くなるので、同人の当選は無効となすべきである。

八、右久美浜町選管の決定に対しては、原告は異議申立を為し、棄却されたので昭和三八年三月二七日被告に対し審査申立を為したが、同年一〇月二三日棄却の裁決があり、同月二五日裁決書の送達があつた。しかし、右田中吉左衛門の当選者決定は選挙の規定に違反し、しかも選挙の結果に異動を及ぼすことは明白であるから、前記棄却裁決を取消し、右同人の当選を無効とするために本訴に及ぶ。

被告代表者は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次の通り述べた。

原告主張の本件選挙において、当選者となつた田中吉左衛門の得票中に「田中正夫」名の票が一四票あつたこと、同人の昭和二九年七月六日までの旧名が田中正夫であつたこと、現在の久美浜町が昭和三〇年旧久美浜町ほか五ケ村が合併して成立したものであること、本件選挙が右合併後、全域において、即ち大選挙区制の選挙としては最初のものであること、被告が原告の申立を棄却する裁決をしたことは、いずれも認めるが、その余の事実は否認する。右「田中正夫」票を田中吉左衛門の得票と決したことは適法であつて、右決定及び裁決には何等の違法はない。即ち、田中吉左衛門は前記改名までの約三八年間の青壮年期間を旧名田中正夫に依り社会生活を営み来り、家業たる竹製品販売業を営み、旧久美浜町の青年団長に就任し、また昭和三〇年まで旧久美浜町町会議員の職に在つて、同人の所属する旧選挙区地域では現在でも相当に旧名が用いられており、同人の旧名の周知普及度は相当高度である。しかも右「田中正夫」票は右旧名と正確に符合し、漢字で明瞭に記載されているから、旧名が通称以上に、かつては戸籍上の氏名そのものであり、厳格にはその使用、普及について地域的な限度すらない唯一のものであつたことに鑑みると、その田中吉左衛門本人を指すことが極めて明白であり、同人の得票と決定すべきが当然である。なお投票の効力は開票管理者(本件では選挙長)が開票立会人の意見を聴いて決定するもので、立会人の意見に拘束されるものでないから、立会人の意見に反したとしても何等の違法はない。

(証拠省略)

理由

昭和三八年二月八日に執行された京都府熊野郡久美浜町議会議員一般選挙において田中吉左衛門が当選者と決定され、同人の得票とされた投票中に「田中正夫」と記載した投票が一四票あつたことは、当事者間に争いがない。

原告は、右一四票を田中吉左衛門の得票としたことが違法であるから、同人の当選決定は無効とすべき旨主張するので、審按するに、右田中吉左衛門が本件選挙の約八年余以前なる昭和二九年七月六日まで田中正夫がその本名であつたのを改名したことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第一号証と証人田中吉左衛門の証言に依ると、右田中吉左衛門の名は祖父以来のもので、右改名はいわゆる襲名であること、田中吉左衛門は大正五年生れで合併前の久美浜町の向町部落の住人であり、農業の傍ら竹カゴを製造し、昭和一五年に青年団長、昭和二二年に同部落竹器組合の専務理事、昭和二三、四年に同部落自治会長、昭和二六年農地委員(一期間)に就任し、また同年町議会議員に当選したことがあり、前記改名後においては右改名を用いて昭和三〇年の町議会議員の選挙(但し、合併前地域による小選挙区制)に当選したが、昭和三四年の同右選挙(小選挙区制)には落選したこと、右両度の選挙には、他に田中姓の候補者はなかつたこと、合併前の久美浜町(いわゆる旧久美浜町)内においては、現在でも旧名「正夫」を以て呼ばれることが往々あり、特に居住地の向町部落では、多数の者が右旧名を以て呼ぶことが認められ、右認定に反する証拠がない。

次に成立に争のない甲第五号証の一ないし三八、証人藤原熊蔵の証言により成立を認める甲第四号証の一ないし四、右証人藤原熊蔵、田中正雄の証言を綜合すると、訴外田中正雄は旧久美浜町壱分部落(田中吉左衛門の住所との距離約八キロ)に生れた住人で農業と材木商を営む有資産家であり、昭和三四年の同町議会議員選挙(但し小選挙区)に当選し、本件選挙にも立候補して当選したものであるが、その居住部落における区長、評議員の選挙の際に同人を「田中正夫」として投票する者が往々あり、また平素同部落、同町の内外から受取る郵便の宛名にも「田中正夫」又は「田中正男」と記載するものが相当多数にあることが認められ、同人が誤つて「田中正夫」、「田中正男」と呼ばれる事例が決して珍らしくないことを是認せざるを得ず、右認定に反する証拠がない。

さらに成立に争のない甲第二号証の一、二、第三号証、証人上谷義男、石田精一、中村真澄、田中吉左衛門、田中正雄の証言、及び弁論の全趣旨を綜合すると、本件選挙は、旧久美浜町が隣接村と昭和三〇年一月一日付で合併して久美浜町となつた後における大選挙区制(旧久美浜町を一区とし、他は六地区とす)による選挙としては最初のものであつて(この点のみは当事者間に争がない)、議員定員二六名に対し立候補者二九名があり、そのうち田中姓が田中吉左衛門、田中正雄、田中清の三名もあつたところから、田中吉左衛門は選挙運動を為すに当つても、自己の氏名を他の二名と特に区別して選挙人に周知せしめることに意を用い、その現在の本名中「田中吉」の三字をポスターにおいて特に大きく、区画して自らの標識として掲げ、田中正雄とまぎれ易い旧名「田中正夫」を持出すことは差控えていたこと、ところが、昭和三八年二月一日より告示された本件選挙の投票日の前々日たる同月六日に至り、田中吉左衛門は如何なる意図によつてか、突然選挙管理委員会に対し異動届と称して、自己の現氏名に旧名「田中正夫」を併記したき旨を申出でたが、かような措置は、少くとも結果的に見て選挙民を惑わし、かつ右旧名と酷似する候補者田中正雄の利益を害することになるので、同人に通知されて紛議を招いたので、田中吉左衛門は翌七日選管委員等関係者の説得もあつて、右異動届を撤回したこと、ところが投票を開票した結果、一応疑問票として「タナカマサヲ」「たなかまさを」の仮名文字票約二三票、「田中正男」六票、及び本件投票「田中正夫」一四票が取上げられたが、そのうち「田中正夫」以外の分はすべて田中正雄の得票と決せられ、選挙長、開票立会人一同何等異存がなく落着したこと、ところが「田中正夫」票については、最初立会人一〇名中九名までが田中正雄の票と決すべきを主張し、残一名のみ田中吉左衛門の票を主張したが、選挙長石田精一(開票管理者)はこれに納得せず、再審議に付し、右「田中正夫」が田中吉左衛門の旧名であること、及び同人が現在もなお右旧名を以て呼ばれている事例等を説明し、当日夜半を過ぎて再度立会人の意見が五名宛に分かれた結果を見て、右石田がこれを田中吉左衛門の得票と決定したこと、右決定の時刻にはすでに田中正雄は別に二七二票を得て、同人の当選は確実となつており、かつ右立会人一〇名中には、田中吉左衛門の関係者は加わつていたが、田中正雄及び原告の関係者は含まれず、右決定に強いて異議を唱える者がなかつたこと、右の決定により田中吉左衛門の得票は二〇一票(従つて、右一四票以外には一八七票)となり、訴外奥田誠之の得票は一九六票、原告の得票は一九三票であつたので、田中吉左衛門は当選者と決定され、原告は落選(次点)したこと、右石田が右「田中正夫」票を特に前記の他の疑問票と区別して田中吉左衛門の得票と定めた理由の主要な点は、右の票の氏名が、同人の旧名に正確に一致するところにあること、以上の諸事実を認めることが出来、右認定を左右するに足る証拠がない。

以上認定事実によると、「田中正夫」なる名称は一方において田中吉左衛門の旧名であつた関係から、本件選挙当時にも、同人自らその使用を避けたにも拘らず、なお同人を指す名称として用いられたと見る多少の可能性が存するが、他方において右名称は田中正雄の誤つた呼称として、本件選挙当時にも同人を指す目的で誤記せられたものと見る可能性が多分に在り、この後者の点において、これを他の誤記たる「田中正男」又は仮名書きの名称と絶対的に区別すべき理由は存在しない。右「田中正夫」の記載氏名が、田中吉左衛門の旧名と正確に一致するということも、それが同人の現氏名でないこと、田中正雄が田中正夫と誤つて呼称され、記載される事例が相当数現存すること、ならびに前記開票立会人の見解に徴すると、到底右区別の絶対的基準として採用することはできない。

そうすると、本件選挙において田中吉左衛門が違法の主張のない得票一八七票を有していたことに徴すると、前記奥田(一九六票)に次ぐ得票者たる原告(一九三票)をしのぐ得票を得るためには、右得票になお少くとも七票を本件「田中正夫」票より同人の票として確認、加算されなければならないが、前段認定事実からは勿論、他に被告の全立証によるも前記「田中正夫」票一四票のうち、右七票を同人の票と確定ないし推定し得べき根拠は何も認めることはできないから(右一四票はむしろ公職選挙法第六八条第七号の無効票と認めらるべきである)、右田中吉左衛門を当選者とするための得票数に不足することが明らかであり、この点において同人を当選者とした久美浜町選挙管理委員会の決定は違法であるといわねばならない。

ところで右決定に対し原告が適法な異議、訴願をしたことは、成立に争のない甲第一号証、第二証の一、二と弁論の全趣旨により認められ、被告が右訴願の申立棄却の裁決をしたことは当事者間に争がなく、前掲第二号証の二(裁決書)によると、右裁決の理由は、前記判断に対比して正当とは認め難いので、右裁決は取消を免れず、原告が本訴の原告としてその取消、当選決定の無効を請求する適格と利益を有することは、前段判示に徴して明白であるから、原告の本訴請求はすべて正当として認容すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 岡垣久晃 宮川種一郎 奥村正策)

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